どんなときも

   主は私を広いところに連れ出し、私を助け出されました。

 主が私を喜びとされたからです。」

サムエル記 第二 2220


買物に出ると、お店に「こんなときだから、綺麗になろう」とか「こんなときだから楽しもう」といったキャッチフレーズがありました。

私たちは今、「こんなとき」にいるのだ、とつくづく感じました。
私たちが経験している「こんなとき」は、なかなか出口の見えない閉塞感や、長い間の制約される毎日に、なんだかだんだん心が疲れてしまいがちになります。

私たちと同じように、災害や病、トラブルなど、人類が経験する様々な困難を乗り越えてきた、何千年も前の人達の証言が聖書には残されています。

イスラエルの王だったダビデは、王になる前、何年も、前代のサウル王に妬まれ、命を狙われて荒野で逃亡生活をしていました
周りの人達からも「ダビデはもう終わりだね」と思われていました。

けれども、ダビデは神様の約束を信じ続けていました。
誰にも理解されなくても、すべてをご存知の神様が必ず自分を助け出してくださる。
みことばの約束だけを支えに生きてきました。
「苦難の日にわたしを呼び求めよ。
わたしはあなたを助け出し あなたはわたしをあがめる」詩篇50章15節

そしてダビデは、みことば通りに、神様の介入によって、人々や状況を通して助け出されました。
今日のみことばは、ダビデが神様をあがめている箇所です。

みことばの約束は、誰でも信じる人の日常で実現します。

今は出口が見えなくても、ダビデと同じように、神様は私たちも、用意されている広いところへ導いてくださっています。

どんなときも、みことばの約束を握りしめて、そのままのあなたを喜ぶ神様と一緒に、今日も広いところに向かって歩んでいきたいと思います。by長町南伝道所


 

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