"そして彼らと食卓に着くと、イエスはパンを取って神をほめたたえ、
裂いて彼らに渡された。
すると彼らの目が開かれ、イエスだと分かったが、その姿は見えなくなった。
二人は話し合った。
「道々お話しくださる間、私たちに聖書を説き明かしてくださる間、
私たちの心は内で燃えていたではないか。」"
ルカの福音書 24章30~32節
聖書を読んでいても、よくわからない箇所があるかと思います。
けれどもイエス様の霊であるご聖霊が臨まれるとき、今までわからなかったみ言葉の真理に目が開かれ、「そういうことだったのか」と教えられることがあります。
それは、そのみ言葉につながる他の聖書箇所がふと思い浮かび、語られている背景や意味がつながって気づかされたり、何度も同じみ言葉を、礼拝や読んでいる本などに出てきて、イエス様が自分に語ろうとされていることに思いが至る、というような体験です。
今日の弟子の二人は、イエス様が十字架に架かられた意味も復活されたことも理解できず、これは一体どういうことなのか、と話しあいながら旅していました。
そこに復活されたイエス様が同行されました。
二人の弟子は、イエス様であることがわかりませんでしたが、語られるお言葉に心燃やされ、「ぜひ」と自分達の泊る家にイエス様をお連れします。
そして食卓でイエス様がパンを取って神様を賛美して祈り、パンを裂いて彼らに渡した瞬間、彼らの霊的な目は開かれ、その方が復活されたイエス様だと気づきます。
イエス様はみ言葉をとおして、私達が日々起こる問題、状況に惑わされ、イエス様から現わされているはずの希望が見えなくなってしまっている私達の目を開かれ、実現する神の真実で心を燃やしてくださいます。
困難な問題がたとえ続いたとしても、そのただ中をイエス様は一緒に歩んでくださり、解決への道に私たちを導いてくださいます。
今日も私たちをいつも守ってくださっているイエス様に信頼して、神の真実に目を向けて、一緒に歩んでいきたいと願っています。
by 長町南伝道所
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