「しかし確かに神は聞き入れ私の祈りの声に耳を傾けてくださった。
ほむべきかな神。神は私の祈りを退けず御恵みを私から取り去られなかった。」
詩篇 66篇19~20節
私たちは祈る時、切なる思いを神様に打ち明け、自分の考える最善を神様に願います。
神様に信頼して祈る祈りに、神様は100%応えてくださいます。
けれども、祈りの答えが自分の願っているとおりではなかった時、私たちは思います。
ほむべきかな神。神は私の祈りを退けず御恵みを私から取り去られなかった。」
詩篇 66篇19~20節
私たちは祈る時、切なる思いを神様に打ち明け、自分の考える最善を神様に願います。
神様に信頼して祈る祈りに、神様は100%応えてくださいます。
けれども、祈りの答えが自分の願っているとおりではなかった時、私たちは思います。
「神様は、私の祈りに答えてくださらなかった」
小さな子どもが願うとおりに何でも買い与える親はいません。
小さな子どもが願うとおりに何でも買い与える親はいません。
危険なものもありますし、我慢すること、楽しみに待つことも、その子の成長に必要な経験です。
神様は、私たちに本当に必要なことをすべてご存知のお方です。
今は理解できなくても、神様は私たちのどんな些細な祈りを聞いてくださり、本当にしあわせな人生を歩むための必要で答えてくださっているのです。
ニューヨーク市三十四番街にある、物理療法リハビリテーション研究所の受付の壁に「ある南北戦争における南軍の無名兵士の詩」があります。
”大きなことを成し遂げるために、
力を与えてほしいと神に求めたのに、
謙虚さを学ぶようにと、弱さを授かった。
より偉大なことが出来るようにと、健康を求めたのに、
より良きことができるようにと、病弱を与えられた。
幸せになろうとして、富を求めたのに、
賢明であるようにと、貧困を授かった。
世の人々の称賛を得ようとして、成功を求めたのに、
得意にならないようにと、失敗を授かった。
人生を楽しもうと、たくさんのものを求めたのに、
むしろ人生を味わうようにと、シンプルな生活を与えられた。
求めたものは何一つとして与えられなかったが、
願いはすべて聞き届けられていた。
私はあらゆる人の中で、
もっとも豊かに祝福されていたのだ。”
状況にも左右されることのない本物の幸せが用意されています。
片時もあなたから離れず、どんな時もあなたの心を愛と恵みで満たしてくださる神様と共に今日も歩んでいけますように。
片時もあなたから離れず、どんな時もあなたの心を愛と恵みで満たしてくださる神様と共に今日も歩んでいけますように。
by 長町南伝道所
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