受けとるだけの幸せ

 "主はあわれみ深く情け深い。
怒るのに遅く恵み豊かである。
主はいつまでも争ってはおられない。とこしえに怒ってはおられない。
私たちの罪にしたがって私たちを扱うことをせず私たちの咎にしたがって私たちに報いをされることもない。
天が地上はるかに高いように御恵みは主を恐れる者の上に大きい。"
詩篇 103篇8~11節

どうしてこんな事が許されているのだろうか、と思うような経験をするとき、神様がどのようなお方であるかを知ることができます。
聖書は、どんな人も神様の正しさで完全に生きることは不可能だと告げています。
罪の性質が私たちの中に入ってしまっているからです。
自分が正しいと思うことが全て完全に正しいわけではないことを、私たちは過去の経験で知っています。
あんなことしなければ良かった、と後悔したり、戦争のように状況が変わると正しいと思っていた価値観自体が変わることを、歴史も物語っています。

神様に生かされているいのちの中で、神様の正しさに従わないで自分の正義に生きて、状況が変わるたびに何が正しいことなのか、何をすればいいのかわからなくなって、さまよい歩いている私達を神様はぜんぶご存知です。

私たちの自己中心の罪をみんな知っているのにその場でさばくことをなさらず、「早く自分の過ちに気づいてほしい。私のもとに帰っておいで」と願われ、あなたが来るのを待っています。

日曜日、世界中で捧げられているキリスト教会の礼拝は、神様がご臨在されるところです。
神様からの永遠に変わることのない幸せと本当の人生を受け取っていただきたいと願います。



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