保証のしるし

"このキリストにあって、私たちはその血による贖い、背きの罪の赦しを受けています。
これは神の豊かな恵みによることです。"
エペソ人への手紙 1章7節

良心の呵責は子どもでも経験します。
ウソをついたり、ずるい事をしていると、「そんな事をしていいのか」と咎める声が心に聞こえてきます。

物心ついた時から私たちは、よい事と悪い事がわかっています。
まだやっとお話が出来るようになった子どもでもお友達のおもちゃを横から取った時、「それはいい事?」と聞くと、首を横にふったり、下を向いて目を合わせようとしません。
悪い事とわかっているのです。

私たちの選択は、完全によい事を徹底することはできません。
かといって、良心の呵責を素直に受け入れ、そんな自分を認めて謝る勇気も中々ありません。

けれども私たちの罪を先に赦してくださったイエス様が私たちと共におられるなら、私たちは安心して自分の罪を認め、謝ることができます。
全てをご存知の神様が、自分を赦してくださり、謝る勇気を与えてくださるからです。
こんな自分をも愛してくださり、赦してくださる神様が今日も共にいてくださる。
私たちの罪の罰の身代わりとなられたイエス様の十字架を信じるなら、私たちはを罪から解放され、素直に、幸せに成長していくことができるのです。
十字架は神様の保証のしるしです。

あなたの幸せを切に願って命まで捨てられた神様が、今日もあなたと共におられます。
イエス様と一緒に今日も新しい一日を歩んでいきましょう。





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